2011年9月30日金曜日

secret garden

ダヴァールに来ている子供達に仲間で生きている事を体験してもらいたい。
神さまの目から見たらどの子も同じひとり子イエス様の血の代価が支払われた同じ神のかたち。
2歳〜19歳までの神のかたち達。
年は違っても何かみんなで同じことをしたい、皆で助け合って生きているんだって知って欲しい。
一人だって入らない子はいない、一人だって特別な子はいない。
皆同じイエス様の子供。

この日の事は多分生涯覚えてるひとこまに成ると思う。
パスターを先頭に、淳君、智恵ちゃんと伸び放題に成った草と戦った午後の時間。

「あそこにある庭ずーっと何か使えるって思ってるんだけど、、、」
「あそこの草取ったら何かやれそうな気がするんだけどちょっと何か出来ないかなあ?」とパスターに頼んで、「ちょっと助けてくれないかなあ?」とお願いしてみた。

パスターが時間があるのは月曜の昼間だけだから、朝2人であの庭を見に行った。
子供達の背丈にまで伸びた草で一面に草ぼうぼう。
思ってたより凄いなっ、パスターが「マコと2人じゃ無理だなっ」て、、、
で淳君に電話した「HBS2の準備してたんだけど」といいながら、中断して来てくれることになった。
そのあと智恵ちゃんに電話した。
彼女草取りした事無いって言った、でも「行く」といって来てくれた。

家から芝刈り機、のこぎり、電動式のカッター、ホース、鎌、ほうき、スコップ、木ばさみなどなどパスターはテキパキと次々にプレビアに積み込んで、出発、、、

先についてた智恵ちゃん、淳君と軽く挨拶しすぐに仕事に取りかかった。全員がただ黙々と働いた。
目の中に汗が流れ込んでいたい。

草が伸び放題の庭は蜘蛛が一杯、ありも一杯、猫のネグラだったらしい、、、

途中でパスターが「ちょっと休憩しよう」といって冷たい水を飲んだ。
ゴクゴクと音を立てて水を一気に流し込んだ。
「うま〜い」飲んだらまた汗が噴き出て来た。

再開。

智恵ちゃんも淳君もパスターも真っ黒になった、誇りだらけの笑顔が眩しい。
リベカ、ラケル、ダビデ、モーセ聖書の中の選民達が真っ黒に日焼けして人々を守って来た姿が何故か彼らの働く姿とだぶって見えた。

「いい汗かいた」天国行きの汗だな。

神さまって凄いなっ。
心が一つになった人とは熱い日の草取りでも、こんなに充実した喜びを運んで来るって、今ままでのダヴァールの歴史の中にもこんなひとこまあったよな~って久しぶり嬉しかった。
いい時、いい汗、いい仲間、イエス様の御名によって合された仲間。

ダヴァールのパスターはやっぱりモーセであり、ダヴィでだなって。
いつも人々の先頭に成って働く、パスターが入るから安心がある、喜びがある、何かが起きてる事がわかる。
「主の御手が彼とともにあった」を体験させてもらったひととき。

『あった!』、エデンの園。
伸び放題の草を一束、一束取りのけて行ったら、段違いの花壇が出て来た。
一段目の花壇は木切れが一杯敷いてあった。
下の花壇はゴムでしきりが敷かれていた。
上の花壇には石が敷かれていた。
車庫の前のたたきの道から、石の道が敷かれて真ん中の庭に続いていた。

子供の本『secret garden』を思い出したの午後のひとときであった。
聖霊様がアノ庭を歩かれる、イエス様の名が褒め称えられる場所となるはずである。
ここも契約の土地だから。
今度の土曜日ここで子供クラブがランチを作る。
皆の笑い声が聞こえて来る、2歳から19歳ダヴァールの天使達が神の子イエス様を賛美する声がこの庭にこだまする。
ダヴァールの為に隠されていた庭で、主にある交わり神の国が来る。

まころん

2011年9月14日水曜日

イエス様と散歩



ダヴァールの夏のキャンプが終わった。
皆に「自分で撮った写真だけ使って、自分のキャンプをスライドショーにしてみてくれる?」と頼んだ。


個性的なのがいろいろ出来た。
その中から興味深いのがあるのでシェアしたい。


このなかには,ダヴァールのキャンプは無い(?)
キャンプの合間の、研二が「自分とイエス様だけ」の空間の世界である。


初め来れ見た時は、「何だこれ?」「これじゃあキャンプのスライドとしてシェア出来ないなあ」と思った。
純が「お母さんこのタイトル見てご覧?研二がイエス様と散歩してるんだよ」と教えてくれた、、、
で、見直した、「なるほどね〜」「いいじゃんこれ!」と最後には一番好きなスライドショーになった(?)


このスライドだけが静かで、スローなテンポ。
あとのはみんな「元気!」な『キャンプ!』。(後のはウェブの人たちが使う予定)


研二の方から吹いて来た、神さまの風。
神の国からの便り、シェアします。


まころん

2011年9月13日火曜日

主が造られた私の心:契約の虹:フリッパー





実穂は結婚して何年にも成る。
子供は居なく、夫婦はいつも2人でどこに行くのも一緒、何をするのも一緒だった。

その旦那様、ある日突然に、神さまに召されて天国に帰って行った。

あまりに急な出来事で実穂は自分を制する事が出来ない状態に落ち込んだ。

「なぜ?」この事の答は実穂の周りのどこにも無かった。

誰も答えてくれない、、、
人の言葉が空々しく、何をしても何を聞いても空しさだけがこみ上げて来て、、、心が「空っぽ」になった。

「何の為に生きて行けばいいのか?」最愛の人ですら、一言の言葉も残さず、一瞬で行ってしまった、、、
「なぜ、私だけ取り残されてる?。。。」

旦那様と暮らした全ての思い出の中に、一緒に歩いた人生の全ての場所に旦那様が居た。
空を見ても、花を見ても、風の中にも旦那さんが思い出される。

毎日一人になると涙が溢れる。
誰も拾ってくれない涙がボロボロと溢れて、床に落ちていく。
ポタポタと音を立ててる、なのにその音に誰も気がついてくれない、、、ひとりぽっち。。。

実穂はロスに逃げて来た。
行き場を無くして逃げて来た。

でも、神さま、貴方の恵は計り知れず、貴方の哀れみは朽ちる事がありません。
イエス様は実穂をしっかりと受け止めてくださり、初めはゆっくりとした足取りで、実穂にあわせて、ゆっくりと、ゆっくりと歩かれた。

歩きながら静かに語られた主のこころ。
「私について来なさい。貴方は私の民、私はあなたの神である。私は貴方を決して離れず、貴方を捨てない。」

イエス様と語り始めて10日が過ぎた頃、実穂は心のドアを開けた。

「イエス様、私の心にお迎えします。貴方が私の人生の主であられてください。私は貴方に信頼します。」と告白した。

あれから実穂は自分の全てを主に捧げて生きて来た。
下は実穂から来た、『神の国からの便りである。』



おばさん、
2年ぶりにフリッパーに会ったんだ。
近くに住んでいるのにね。全然会いに行かなかった。
あれからずっとフリッパーは徹の弟君と暮らしてるんだよ。
珍しく弟君から「出かけるから預かって欲しい」って連絡が来て1泊2日で預かることになったの。
彼らの家まで迎えに行った。う~ん、嫌な感じがそのまま的中。
弟君は「まあまあ上がっていきなよ」って言ったけど、5分もいられずにフリッパーを預かってさっさと帰ってきちゃった。
その家は徹と結婚してから住んでた家でね、中もほとんどそのままになってるの。
だからいろんなこと思い出しそうでね、そこにいられないんだ。
「あれ?これって恐れか?」
イエス様に会って元気になったはずだったのにおかしいな。。。って落ち込んだよ。。。
でもとにかくフリッパーには会えた。気を取り直してこの2日はヤツに尽くそうって思ったんだ。
「久しぶりだね。ごめんね、会いに行かなくて」って言ったら、
(いいよ。全部わかってるから)っていうような顔してあくびしてたー(笑)
ん?ヤツの中にもイエス様がおられるのか?
ヤツは全然変わってなかったよー。神様の愛みたいに。

その日の夜に開いた聖書の箇所にはこう書いてあったんだ。
「死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。そのとき、私は主の御名を呼び求めた!『主よ。どうか私のいのちを助け出してください!』 主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに良くしてくださったからだ。
まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。」
(詩篇116:3-8)
ア~~メン。染みたー。
人間って自分が思ってるほど従順じゃないねぇ。。フリッパーは立派に新しい主人に仕えているのにね。
「私は生きるかぎり主を呼び求めよう。」アーメン。
いつでも主の御名を呼び求めれば神様は私を光の中へ連れ出してくださる。ほっとした。

次の日ヤツと散歩してたら、空に虹がかかってたんだよ。「ん~いいね!」
夜、ヤツを送り届けたときに車の中で自分に向かって「イエスの血潮、イエスの血潮」家の前で「イエスの血潮、イエスの血潮」玄関の中で「イエスの血潮、イエスの血潮」ってやってきた。らんじゃさんの証読んでたから(笑)それ思い出してとにかくやってみた。次に行った時は部屋の中もやってくるよ。今は弟君とフリッパーが暮らす家だからね。主は彼らにも目を留めていてくださるよね。
うん。神様のまったき愛の中に生かされてるって改めて知ることができた2日間だったよ。ハレルヤだね。
今日の東京の空はきれいな青空!イエス様の血で洗われた私の心とおんなじだー。
写真見てー。

実穂

夏に生まれた陽介、マタイ通読完了

今日はマタイ28章を読みました。


28:1~4
たまにみる、主の使い(御使い)は、天使に属されるお方なのでしょうか?
ふと、気になりました。

28:5~7
ここを3回読み直しました。
1回目はストーリーを読む感じ、2回目は、何かないかなぁ?って感じで、3回目、6節の「ここにはおられません」を読んだ時、すごく引っかかるものがありました。
僕に、「部屋から出て、どこかに行きなさい。」と、言っておられる感じがしたのです。

28:8~10
10節で「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」
と、イエス様が言っておられるのが、響いてきました。
ここも読んだ時、「恐れずに、外に出て何かをはじめてごらん。」と言われている気がしたのです。
ここと、5~7節を読んだ時も、内容と全然関係ない感じはするけど、たしかに、そんな感じがしました。

28:11~15
ユダヤの人々は、イエス様がよみがえられた事を、知らされなかったのですね。
さすがに今は知ってるよなぁ・・・

28:16~20
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
Amenです。



今日でマタイを読み終わりました、我ながら、すごくゆっくり進んでます。
次はマルコの福音書に進めばいいですかー?

そして友人と会った時の事を、あらためてお祈りしました。


2011年9月9日金曜日

イエス様の購いの代価       (神の子の命、血の代価) 


「学んだみ言葉、貴方はどう使う?」


ヤコブ 2:17 
それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。

下は、日曜@4で学んだみ言葉をそのまま素直に実行した欄子さんからの証(抜き書き)です。
おなじみ言葉を学んでも其れを素直に行動する人と、頭だけの知識で終わる人、今生きて働いてくださる神の子であり、私たちを購ってくださった主イエス様、過去に働かれた歴史上のイエスと言う宗教の教祖,貴方はどちらのイエス様?
ーーーーーーーーーーーー

ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から購い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もない汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
(1ペテロ1:18−19)
日曜日のサンデー4にて、パスターが”イエスの血潮”の話をして下さいました。そして、礼拝の最後にパスターがこんな提案をして下さいました。家に住み着いている悪霊達、又家族や自分に入っているかも知れない汚れた霊達を出す為に毎日一週間の間、各部屋を廻って”イエスの血潮”っと告白しながら、自分の右手を振りかざしなさい。(それは自分の手にイエスの血を持ち、各部屋の隅々にその血を振りかけるよう にイメージする)今住んでいる家に住み出して、4年程経ちますが、引っ越す際に何もこのような聖別の儀式をしてなく、もしかして?!私たちが引っ越す前から住み着いている悪霊達が居るかも知れない?!私たち家族がその悪霊達の影響を受けているかも知れない?!と思い、早速月曜日から始めました。パスターは1日1回と言ってましたが、欲張って1日2回程続けてみました。結果は、驚く程に日々変化を始めました。最近起こっていた、ギクシャクしていた家庭内の人間関係や他の諸々の問題が良き方向に向かい出しました。問題が起こる前の良い関係に少しずつ戻り始めています。もちろんその状況の変化によって、自分や他の家族のメンバーの気持ちも明るく成り始めました。やはり、悪霊達の働きを そのまま怒りを持たず、放置して居た為だと思いました。悪霊達によって問題を作り上げられ、振りかけられ、それによって圧迫を受けていました。パスターが言って下さったように、常に悪霊達を自分で出し続けなくては行けない事を学びました。続けて、一週間行なってみようと思います。”イエス様の血潮、御名”という権威が持つ力がどんなに素晴らしく力強いものなのか、少しですが自分にも体験する事が出来ました。感謝です。よって聖書に書かれている事は全て真実だと痛感してます。自分にもその権威が与えられているという事が、どんなに尊い事なのか。イエス様の十字架、血、権威。。私にはまだ分からない事、知らない事、沢山有ります。でも、本当に本当に日々神様に有 って、生かされている自分を見る事が出来ます。神様はいつも助け、そして教えて下さり、導いて下さります。その事によって、周りの人達にも沢山の祝福を備えてくださります。神様はいつも絶対変わらぬ事が無く、どんな時も良き神様です。いつも沢山の愛を示してくださいます。今日も信頼して、喜び感謝を持って、神様そしてイエス様の御名を褒め讃えます! 
ハレルヤ〜!
らんじゃ





2011年9月7日水曜日

イエス様におんぶ


今日の気温は96度。明日は101度と熱いパサデナ。

「けものみち」といわれる道なき道をひたすら、列を組んで歩いた。
3040分と短い時間であるはずが随分と長く感じられた、、、

「この道を歩くのに何の意味があるのか?」と自問自答しながらの探索、、、
山道はただ熱く、雑木がつづき、決して美しいと言える景色でもなく、ついた先には申し訳なさそうに上から小さな滝が落ちていた。

神さまに聞いた。
神さま貴方の目を与えてください。何が見えますか?

この日、2歳のテモテが初めて教会のこの主の行事にパパと参加した。

初めは歩いていたが山に入るとパパはテモテをおんぶすることにした、そのぎこちなさは、初めてのおんぶかな?

パパの背中は大きい。
パパの背中の体温は心地よい安心感がある。
パパと同じ物が目に入って来てパパの声が直接耳に入って来る。
「テモちゃん、お空が奇麗だねえ」
「テモちゃんカエルさんが居るよ」
「テモちゃん木がいっぱいあるね?見える?」
パパはずーっとずーっとテモちゃんに語りかけていた。
そのたびに「テモちゃんは嬉しそうに足をバタバタさせて答えてた。」

テモテの顔に喜びが広がった瞬間。
この日のテモテはそのあと、ずーっとずーっとパパの背中。
パパの歩調に合わせてテモテの足が踊る,目はずーっと喜びで満ちていた。

イエス様と私もこんな風に毎日歩いてるんだ。
私たち大人が小さなテモテを愛らしいと思い、心にかけるように、イエス様も私たちを愛して止まず、「けものみち」のような人生を背中に背負い、御自身は血の汗を流し歩いてくださっている。

わたしはイエス様の背中で、イエス様の愛を一身に感じながらゆらゆら揺れて心地よい人生。
イエス様の購いの代価で買い取られ、神の子とされ、導かれる人生。

テモテがパパの背中に引き上げられて行くとき見せた笑顔、これをみるために、今日は出かけて来たのだと知った。

『イエスさまありがとう。
わたしも貴方の足跡を、一人でも多くの人に手を差し伸べる事が出来たら、私の人生は完了して行く、そうですねイエス様?』

まころん

2011年9月5日月曜日

こんにちは、輝和です、今週は、、、

輝君は、ダヴァールに来ていた留学生で、学校卒業して故郷の大阪に居る。
御両親とおねいさんと4人暮らし。
柔和な青年である。


彼がダヴァールに居た事、わたしはニューヨークとロスを行ったり来たりしていた。
教会の奉仕のミーチングやカウンセリングは、3ウエイコールをつかったり、スカイプでやっていた。


その時期、輝君は奉仕の日には5−6回ニューヨークに電話をして来た。
「お早うございます、輝和です。」から始まって「今全員帰りました。礼拝堂には後パスターが一人残っておられ、僕は先生の仕事が終わるまで待っている状態です。」で終わる土曜日の輝君との電話。


振り返るとおかしい、、、妹も居た、役員達も居た、輝君は普通の信者さんであった。
が、輝君は教会のことはなんでも知っていた,誰よりも知っていた。
誰が何が好きか?
どこに何があるか?
今どこで何が起きてるか輝君に聞けば全部分かった。
その輝君、日本に帰ってもう何年にもなるが、未だにこんなメールが毎週必ず私とパスターの所に届く。
日本に帰ってからすでに聖書は5−6回通読してるそうだ
今週の輝君からのメール紹介します。


浅井先生、まさみ先生へ

今週は先週の残りの黙示録、創世記30章まで読み終えました。

今週から読んだ所から何を学んだということで(もしかしたらほとんどが浅井先生やまさみ先生から学んだことをどれだけ覚えているかになるかもしれませんが、、、)

創世記1章26節より人がもともとこのような目的で創造された。

創世記3章2節から5節を読みながらヤコブ4章7節の通りに御言葉をしっかり知り学んで悪魔に立ち向かわないといけないと学びました。

創世記29章より確かにラバンがヤコブに対してした事は間違っていますが、けれどもしヤコブが思った通りにラケルが与えられたりしてたらこのあとの話のようなヤコブになったのかなと思いました。エサウがヤコブを赦すのに必要な時間があったかもしれませんし、ラバンとの仲がうまくいっていれば自分の故郷に戻ろうとも考えないと思いました。ここも読みながら伝道者の書3章11節の御言葉を思い浮かびました。

今週は調査が3件あり、その他は資料作�をすると思います。

もう九月ですがまだ日本は暑いです。

今週も神様に信頼して頑張ります。

輝和

2011年9月4日日曜日

復活の証人「イエスキリストは私の主です。」/10代の先生駆け引き無し

日本語が終わってから、コーヒーラウンジのほうにいこうとしたら、ともちゃんから英語の賛美はでないんだよね?ときかれてたので、日本語に出たから、でないけど、どうして?と聞いたら、献金を日本語のときに車の中に置き忘れてしまって、献金したいというので、じゃあ、英語の献金まで出席しようということにしました。

賛美のあと、先週と同じカフェテリアの2階の外のテーブルのところでクラスをはじめました。

まさみ先生のアドヴァイスをもらっていたので、今週はすぐにメッセージから学んだことを、おさらいを交えながら話しました。

今日のメッセージでは、先週に引き続き、悪霊の性質、クリスチャンでも悪霊の圧迫を受けること、そしてイエス様の血の勝利のことのポイントにして話しました。

まず、悪霊は目に見えないけど、本当にいて私達を惑わし、いろいろな方法で攻撃してきて、私達の邪魔をしてくる。悪霊たちは自分達の運命をしっているから、私達が思っている以上に、悪霊たちのほうが私達のことを恐れている、そして恐れは自分の頭のなかで作り出すもの、、、というところが私がとくに自分の実際の生活に適用すると当てはまるので、自分の立場から当てはめて理解したこととして、昨日の学校で起きたこともシェアしました。


昨日、学校で再試があって、そのテストにパスしないと今学期からはずされてしまうテストで、90%取らないと、パスできないのですが、けっこうトリッキーな問題がでで、終わってから見直してみると、最低3問は間違ってることに気付き、どきどきしてしまったのですが、先生がもどってきて、2問ほどみんなに点数をくれることになり、1問ミスでパスできた、神様の哀れみと、テストを通しても信仰のテストだったのかな、と終わってから思ったことを話しました。

先週に悪霊は休む場所をさがしていることを習って、今日はマルコ5章から悪霊の性質、自分を傷つけることをや、恐れをもつことまた、9章から悪霊が神経中枢をコントロールすること、でも一番の悪霊の弱点はイエス様の血を恐れているところを復習しました。

私が13歳-14歳のときに学校にいっても友達はいなかったし、勉強もぜんぜんできなくて、最初は仮病からはじまって、学校に行かなくなり始めて、お母さんやお父さんがどうして学校にいけないのかと聞いてきたけれど、自分でもどうしてか説明できなくて、でも自分の気持ちはお母さんたちには分かってもらえてないっていう気持ちがあり、生きていくのが苦しく、リストカットしようとしてカッターできろうとしたけどカッターもさびてて、表面だけで血がでてくると怖くなって、自分には死ぬ勇気もなくて、どうしようもないと思っていた、そのあと家に引きこもりから、家にあるものを冷蔵庫にあるものかたっぱしから全部食べて、トイレにいって吐くことがやめられなくなり、自分でもやめたいのにやめれない苦しさで、どうしていいか分からなくてホープレスになったりしたけど、今は神様を知ってるし、私たちはイエス様がともにいてくだって、勝利してくださったことを感謝して毎日生きていこう、、、ということを話しました。

そのあと、暗唱聖句をしました。

祈って1:20分ごろ終了しました。


2011年9月3日土曜日

毎日、一生懸命生きて来た。行き着いた言葉『主に感謝せよ。その恵は永久まで』

今回参加する2回目のセミナーは去年日帰りで参加した夏とは一変、子供達と共に前日参加でした。
自分と子供達にとってどんな時間になっていくのか、それをどう体感出来るのか、そして共に参加される兄弟姉妹のみなさんをどんな風に目撃できるのか、参加する前から非常に楽しみにしていました。
初めてその地に足を運ぶ子供達には”こんな所に行くんだよ~”とか、”おりの中に熊がいて近くでみられるんだよ~”
とか、そんなたわいもない話をしながら自分達を乗せた車は山に近づいてきました。
くねくねした山道を運転しながら目の前に迫ってきた木々やむきだしになった地層とかを見ながら子供達の
興奮度も次第に高まり無事に到着。

今回のセミナーで最も印象に残った出来事。
それはなんといっても聖霊様のバプテスマを受けることができたことです。
以前から耳にしたことはあったのですが、正直かなりびっくりしました。
経験出来たことによって、普段学んでいるみことばに対する興味も以前より深まり自分にとってより一層意味あり、身近な存在になったことは確かです。
毎日が初体験だった子供達とベッドに入る前に神様のことについてシェアー出来たことも嬉しい出来事となりました。
教会に興味があったわけでもないのに、風に吹かれるようにふらっと初めて訪れてから驚くほど自分が変わっていった。
それも良い方向にと。
肉の力でがんばることしか知らなかった。
今、導きも経験する事ができた。
聖霊様を体験する事ができた。
天使達を呼ぶこともできることを知った。
これから自分がさらにどんな事を学んでいけるのか、そしてどんな計画がたてられているのか。
それを知るために毎日一生懸命生きたい。
熱くなれる自分でいたい。
行き着く言葉はやはり”主に感謝せよ。そのめぐみはとこしえまで”。
感謝、感謝、そして今日も神様に感謝。

自分達を乗せた車が山道を下って行く。
なんとも言えない充実感に包まれながら。
車内では早くも冬のセミナーに向けての会話が
子供達で語られていた。
神様のされる事は、本当に偉大だと痛感した。

2011 夏

木村 潤   

2011年9月2日金曜日

貴方の小道、それは恵とまことに満ちています。


キャンプに参加でき、たくさんのみことばを学べたことを感謝します。
 
キャンプに参加する前は自分の罪責感や恐れに苦しみ、自分の問題にばかり目を向けて神様を見ていませんでした。キャンプ中もなかなか自分の問題から解放されていませんでしたが、神様を見ようと決め、神様を見上げ、ほめたたえ、御言葉を学び、自分を見ないで神様を見上げるたびに喜びに満たされ、自分の問題から解放されました。
 
キャンプではたくさんの真理を学びましたが特に、第一テサロニケ510、ピリピ2111、エペソ11723を毎朝読むことが日課になりました。キャンプで学んだのは神様の一人子であったイエス様が私たちのために、仕える者となってくださり、十字架の死にまで従ってくださり、それゆえ神様がイエス様を高く上げ、すべての名にまさる名(すべての権威)をイエス様にお与えになり、そしてその権威のイエスの御名が私にも与えられていることを学びました。何も罪の無い方が死にまで従ってくださり、私の罪が許されたこと、そして私にもその権威が与えられている真理を知ることができたことに感謝しかありません。
 
今までは罪悪感や恐れに縛られていましたが、私の罪はすべてイエス様の十字架と復活によって許され、救われて、生かされていること、そしてイエス様の御名という権威が与えられていることに感謝しています。第一テサロニケ510 「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」のみことばで いつも、どこにでもイエス様がわたしと一緒にいてくださっている。どんなことがあっても大丈夫だ。と思えるようになりました。今までの私はこの真理を知らず罪責感や恐れに立ち向かうことができませんでしたが、これからはいただいたみことばの上に信じて堅くたっていきます。
 
キャンプに参加出来、パスター、牧師婦人を通じて新しい神様との約束を学んだことに感謝しています。また、姉と姉の子供達と一緒にキャンプに参加できたこと感謝でした。キャンプ中も励ましあい、祈りあうことができた機会を与えてくださった神様に感謝します。
 
キャンプに行くことを決めましたが、キャンプ後、ビザの関係で日本に一時帰国をしなければならなくなり、キャンプで休暇を取ってしまったので、どのように会社から長い休暇を取ろうか、旅費の事など頭で考えていましたが、キャンプ後、期限を延長できることになり帰国せずに済みました。神様のとこしえの恵みに感謝します。
 
ひで りー

2011年9月1日木曜日

イエスキリストは私の主です。

2011 SBS testimony     Yohei Narikawa

昨年のサマーキャンプから、日本で二度の激励聖会とキャンプがありました。Davar Japanで奉仕ができること、神の国を広げる働きをできることがと感謝でした。
5月のキャンプでは、「神の国が来た」をテーマに神の国がどこに来たのかを御言葉を通して学ぶことができました。 使徒812「しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。」 神の国がこの地上に来たことを知った今、『イエス・キリストの御名について知ることができれば、ピリポと同じように、神の国を宣べ伝えることができる。』と期待をもって今年のキャンプに参加しました。
日本から出発の飛行機に、突然のエンジントラブル。アメリカへの道に大きな障害か・・・と思いきや、神様は、都内のホテルを用意してくださりエンジョイしてきました。ハレルヤ

すべての口が、「イエスキリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。ピリピ2:11
SBSでは、すべてにまさる名「イエスの御名」という鍵をもらいました。このカギは、使う人の御名に対する信仰によって働くこと、この地上に神の国を広げることができる素晴らしいものであることを知りました。 また、霊の世界の現実が地上の世界の現実となる法則に反して、この地上から、霊の世界へ働きかけることができるすごい鍵であり、サタンに対して、圧倒的勝利者として命令することができる鍵であることも知りました。ただ、サタンが服従することを喜ぶのでなく、私の名が天に書き記されていることを喜びなさいと聖書は言っています。高ぶらないように、注意します。
私は、今回のセミナーや激励聖会で学んだ御言葉を通して、イエスの御名を呼び、神の国を広げていきたいと強い志を立てられました。そのために、もっと聖書を学びたい、家族でアメリカへ移住し、Davar Kingdom of God 御言葉を学びたいと願います。

パウロが知っていたこと、イエス・キリストにあるすべての支配、権威、権力、主権についてパスターのメッセージを通して聖書の中からその一端を垣間見ることができたように思います。パウロは、なぜこんなに知っていたのか、最初の教会では、日々どんな事が起きていたのかもっと知りたくなりました。また、死海文書とマサダバトルにつながりがあった事も驚きでした。

主の名は堅固なやぐら。
正しいものはその中に走って行って安全である。(高くする。)箴言1810

セミナーの後、神様から頂いた御言葉
あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。箴言36